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七重塔

南大門をくぐると左手に聳えています。
高さは、66mほどの七重塔が建てられていたと推定されています。塔は中に入って上まで登ことはできません。遠くから眺めるシンボル的な存在でした。その中には「金光明最勝王経」が納められていたと考えられています。





国分寺は金堂を中心に七重塔・講堂・中門・回廊などの伽藍が配置されていました。伽藍は築地塀などによって区画されていたようです。 遠江国分寺は昭和26年に発掘調査がされ、七重塔跡をはじめ主要な伽藍が発見されました。 昭和27年に国の特別史跡に指定されています。



塔 跡

国分寺の象徴である七重塔は、現存する心礎と南東隅の礎石から、初層(しょそう)<初重・一階部分>の一辺の規模が約9.5mであることが分かります。

これまでの発掘調査で、基壇が「木装基壇」であること、昭和26年の調査で約15mとされた基壇の一辺の大きさが約18mであることなどが判明しました。

さらに「塔本塑像」と呼ばれる仏像の頭部が見つかったことにより、塔の初層内部は仏教に関する話の一場面を表現した仏像群で飾られていたこと、また、焼成せずに造形する塑像は、土中では分解して残らないことから、塔が火災にあったことも分かりました。

塔の東側を調査したところ、塔を建てるにあたり、塔のまわりを一回り深く地盤改良した部分と、浅く地盤改良を行った部分があることが分かり、地盤を強化するための工夫を施していることが分かりました。

こうした地盤改良には、回廊と同じように、軟弱な土地を一度掘り下げ、土を層状に積み重ねる「版築」という工法が行われています。塔の下には大きな力がかかるため、地下約1mまで掘り下げています。

そして、さらに地盤を強化するために掘り下げた底面近くに径10〜20m位の玉石を敷き並べている場所も発見されました。この玉石は、塔の南側や北側でも確認されたおり、塔の下全体に敷かれている可能性が高いことが分かりました。

七重塔は高さが60m以上あったと推定されています。このように高くて重い建物を、必ずしも地盤が良くない場所に建てているのは、建物の配置計画の中で塔を建てる位置が先に決められていたからかもしれません。