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陣屋/表門









旧見付学校









Jubilo









桶ヶ谷沼









桶ヶ谷沼










チョウトンボ











ベッコウトンボ










ベッコウトンボ










カワセミ










マガモ










コハクチョウ


国指定特別史跡/遠江国分寺(静岡県磐田市)



磐田市・市庁舎から国分寺史跡を眺める



磐田駅前を北に真っ直ぐ1Kmほど行った所にあり、廻りには、北側に静岡県立磐田南高等学校、東側に府八幡宮、南側に磐田市役所、西側には磐田市立磐田第一中学校と磐田市の中心地区に位置している。







@.遠江国分寺
A.御殿遺跡公園(奈良時代の国府推定地)
   ちょうすいざんこふん
B.澄水山古墳(磐田農高敷地内の帆立貝の古墳)
   きょうみつかこふん
C.京見塚古墳(京見塚公園。古墳・埴輪窯」がみられる。)
   かわらけこふん
D.土器塚古墳(市街地に残る丸い古墳)
   かぶとづか
E.兜塚古墳(かぶと塚公園。古墳が見られる)
F.旧見付学校(現存する日本最古の洋風木造校舎)
G.見附端城遺跡(平安時代から中世の国府推定値)
H.一ノ谷公園(一の谷中世墳墓群の代表的な墓を復元)
I.旧赤松家記念館(旧華族・赤松則良の邸宅跡)
J.埋蔵文化財センター(市内から出土した埴輪や土器を収蔵)




磐田市に置かれた遠江の役所

奈良時代、日本の各国には国府と呼ばれる役所が置かれました。
国府は、その国の政治・経済・交通の重要な場所に置かれ、中央政府から派遣された国司と呼ばれる役人の下で、その国の政治が行われました。

遠江国の国府は、磐田駅南の御殿・二之宮遺跡にあったと考えられています。現在までの発掘によって、国府で行われた祭りや儀式で使われた土器や役人たちが使った道具・税に付けられた荷札(木簡)、大型建造群の跡が見つかっています。
なお、国府は平安時代に見付に移転しています。











磐田市の中心地、中泉地区にある府八幡宮に於いて秋の例大祭が行われています。17台の山車が街中を練り歩く、『遠州中泉府八幡宮例大祭』である。

府八幡宮と云われる所以は、
本来は遠江国府八幡宮(とうとうみのこくふはちまんぐう)という名称である。

国府の所在地にあり、国府をお守りする国司・国衙の崇敬社としての任を得ていたとされる説と、国分寺をお守りする役割のため、とする説があり、その両方の役割を担っていたとする説もあります。国府・国分寺・府八幡宮は切り離すことのできない相互関係にある存在です。




鳥 居



境 内



楼 門



中 門



拝 殿





遠州中泉 府八幡宮は、天平年間(729〜748年)に遠江国司であった桜井王(さくらいおう)が、国府の守護として勧請したと伝えられる神社である。

遠州中泉 府八幡宮の三祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后である。

全国の神社の中で二番目に多いのが、八幡宮だが、その祭神はその神社により異なっている。
しかし、常識的には八幡神といえば、応神天皇を指す。 

この天皇は、仲哀天皇と神功皇后の子といわれている。
武内宿禰は、長く天皇家に仕えた伝説上の家臣で、特に神功皇后を助けた人物である。

神功皇后は、九州から朝鮮半島に渡り、自ら弓を取り、いわゆる「三韓征伐」をしたといわれている。



奈良時代、聖武天皇は都である平城京に東大寺を建立、各国に国分寺の建立を命じた。遠江国にも国分寺が建てられた。

ここに国司として赴任したのが天武天皇の曾孫といわれる桜井王、この人が府八幡宮を勧請したといわれる。

桜井王は、この地から歌を一首、天皇に送った。天皇も早速返歌をお返しになった。これが「万葉集」に残っている。


奈良時代府八幡宮を勧請した遠江守桜井王が今之浦一帯を望む台地の国府より遠い奈良の都を慕
(した)って詠(よ)んだ歌。


九月のその初雁の使にも
思ふ心は聞こえ来ぬかも


ながつきのそのはつかりの使いにも
思うこころは聞こえこぬかも



九月になるとやって来る初雁、その初雁をお使いとして、はるかに思いやって下さるお気持ちが、ここまで届かないものでしょうか。秋に南下する雁を、遠江から都へ「思う心」を伝える使いに見立てた歌。

その歌に対して聖武天皇は都より遠江の桜井王を偲んで返された歌。

 (万葉巻第八・1615)




大の浦のその長浜に寄する
浪寛けく君を思ふこのころ


おほのうらの そのなが浜にきする
波ゆたけく君を思うこのころ


と返歌されました。

【訳】
大の浦のその長浜に寄せる波のように、ゆったりと君を思うこの頃である。

「自分を思って下さるというお気持ちを初雁の便りにでもお聞きしたい」と言ってきた桜井王に対し、「あなたはご無事だと安心している」と応えたもの。個人的な親近感あってこその贈答と思われるが、天皇の国司に対する信頼感もおのずと漂ってくるかのようで、まことに帝王らしい堂々とした歌。